忍者ブログ

Azukish

消えゆく世界と流れる未来に最後の灯を since 2006/4/3

2024/04/25

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

2016/02/10

大学に入ってから今までのことをログってみる試み その二(2年〜3年)

その一は大学に入ってから今までのことをログってみる試み その一(大学に入学〜2年まで)
あとでまとめたページも作る予定。
この辺は愚痴が多いです。というか大学や教授、講義や実験に対しては愚痴しか言うことが無い。


1. キャンパスの変遷

僕の通っている大学は学部ごとにキャンパスが分かれていて、1年から2年に進級するときにキャンパスが変わる。
2年以降に僕らが活動するキャンパスはだいぶ僻地にある。
その街は、大学があるのにも関わらずかなり寂れた街で、なんというか・・・、・・・これ以上言うと愚痴にしかならないのでやめておく。愚痴しか書かないけど。
簡単に言うと、数十年前の好景気で自分の力を過信した現年寄りが、売れるものではなく売りたいものをかなりの高値で売り、土地に法外に高い値段を付けて手放さなかった結果、それらの価値が暴落して誰も寄り付かない場所になっている、という状況である。

また、大学や高校が数多くあるが、彼らを積極的に排除しようとしているとしか思えないまちづくりで、若者が居たいと思える場所(大きな本屋然り、ショッピングモール然り、ゲーセン然り)が、一切、無い。また、メインストリートがシャッター街なので、そういう施設を作る土地も無い。
その結果、そこに住んでいる若者も多いのにも関わらず、車などで市外に出て買い物をするという状況のようだ。

それに気付いている人も多く、その対策に躍起になって取り掛かっているが、時すでに遅しだと思う。
もちろん気付いていない人も多くいる。そういう人はきっと認知症なんじゃないかなと思うようにしている。
もう見栄を張らずにさっさと潰れてしまってもう一度ゼロから作り直せば良いとは思うが、傾きあちこちが機能不全に陥りながらも延命治療をひたすら繰り返し、街としてとりあえずまだ生きているという状態のようだ。

で、その街にあるキャンパスで2年以降は講義を受けたり実験したりするわけだけど、学務・事務が非常に残念仕様だったというのが第一印象。
まあ、その状況としては前にも書いたから、ここでは省く。
次の印象としては、飯がまずかった・・・。
学食があるが、近くの定食屋で食べた方がうまい・安い・早いと三拍子揃っていて、学食の存在価値が近い以外になかった、と後で気付いた。
で、廊下などがどこもだいたい薄暗く、初めから幸先の悪さはなんとなく感じていた。

2. 専門科目について

2年以降は徐々に専門的な科目を学ぶことになる。
その専門的な科目の講義の構成は、明らかに1年の教養の科目のものよりも悪かったと思う。
なんというか、雑で粗悪。そんな感じ。
黒板に書いたり、パワポのスライドや、OHPとかもあったけれど、全体的にどれも講義のやり方が下手だった。
確かに、1年次の教養の講義は教育学部の教授が行うものが多く、2年以降の講義は理工系の教員が行うものであるため、教育的な観点から見たら見劣りするのは当然とは思う。
けれど、その分を差し引いたとしても、どれだけ聴いても教科書よりもわかりづらい講義ってどうなんだろう。

あと、下手な上に教員の「なんとなくやる気ない?みたいな感じ」が出ていた。
指定された教科書の多くがその教員によって書かれたものだったり、その教員たちが学生時代に読んでいた大昔のものだったりで、教科書の選定にはさほど時間が割かれていないものと思われる。
指定された教科書を真面目におさらいするよりも、それとは別に分かりやすい参考書的なものを一冊買っておくとかなり勉学が捗ると思う。とりあえず指定された教科書だけでやるのは時間と金の無駄だと知ったが、僕がそれに気付いたのはだいぶ遅かった・・・。認知症なんじゃないかな、と思う(自嘲)

また、講義の大部分が「テストの点数」ではなく、「出席の回数/欠席の回数」に評価のウェイトを置くため、ほとんどが「講義に出てさえいればどうであれとりあえず単位はもらえる」という状況であった。
最終的に家で自学し、講義は寝るor別の本を読むというスタイルが僕の中で確立してしまった・・・。これは良くないと自分でも思った。反省。
けれど自分的には、多分これが一番良いと思います(笑)
他専攻の講義もいくつかとって受けてみたが、それらはだいぶマシで、どうやら僕の所属していた学科が特にひどいらしい、ということが分かった。
考えると、電気はどの分野でも比較的重要視されているので、その専攻の本来持つ力的なものを自分の力と勘違いしてしまった教員がいるんじゃないかと思った。
なお、他専攻の講義でもひどいものはひどく、夏休みに資格のために受けた集中講義なんかは軒並みアレだった・・・。

まとめると、大学で講義の内容を聴き教科書の内容に従って真面目に問題を解くよりも、一冊自分に合いそうな本を買ってそれをひたすら読んだり解いたりした方がはるかに早くそして深く覚えられた。
とりあえず、「僕が行った大学・学部・学科」の「僕が受けた講義」のうち、一部を除きほとんどが定価数千円の本以下の内容で、単位を取り卒業するという目的以外には何の役にも立たないものであったということだけは言えると思う。
もしかすると素晴らしい講義、素晴らしい教科書、身になる話をしてくれる魅力的な教員としての教授がいるところもあるのかもしれないが、少なくとも自分の行った大学はそんな感じだった。
というかむしろそういう講義があったら受けたい・・・

3. 実験について

酷さは講義だけではない。
専門の実験もなかなか酷いものだったと、今から振り返るとそう思う。

まず、2年の実験レポートは何故か手書きで提出することを求められた。
恐らくコピペ対策だとは思うけれど、コピペ対策なら実験のガイダンスでコピペは即単位不許可と伝えてそれを実行すればいいのであって、手書き強制は理由が分からない。
あと、手書きでそのまま引用的に書いても(アナログ的コピペ)、その辺のチェックがザルで問題は無かったらしく、その後の講義や実験のレポートで、結果的にコピペの濫用が広まってしまったようだ。

実験と講義の相互的なつながりが全く無かったのも結構僕には堪えた。
自分としては、実験は講義の延長線上か、もしくは講義が実験の延長線上になっていて欲しい。
もちろん人数的に全員が同一の実験を一気にすることはできないから、実験と講義の日程が多少離れてしまっても仕方ないとは思う。
けれど、実験は実験、講義は講義、と完全に分かれてしまっていたと僕は感じた。
その相互的なリンクはかなり薄く、基本的に実験をしたその内容を半年〜1年後に講義で学ぶ、もしくは実験をした内容を講義では一切扱わない、というスタイルが多かった。
実験前に「半年後に学ぶであろう半年分の講義内容」を予習するのは結構大変で、実験原理があまり飲み込めない状況で実験をすることも結構あった。
仮説実験授業を完全に実行せよと言ってるわけじゃないけれど、その実験をどういう意図で何を目的としてやっているのかくらいは書いたり言ったりしてくれると嬉しいなあ・・・、と思うのは甘えだろうか?

また、基本的に担当教員の下で研究をしている学生または院生がティーチングアシスタント(TA)として実験の手伝いをし、その担当教員は一切実験には関わらないことが多く、そのTAも実験内容を把握していないこともあった。
もちろん教授たちが作成したテキストにも間違いが数多くあり、実験設備の不十分さから不確かさが大きすぎて実験値がうまく出ないこともあった。
そんな中で実験の内容やその原理を正確に理解することはかなり難しく、何のための実験だったのか、僕には未だに分からない。
そして単位を取るための実験、以外の回答が未だにできない・・・。

4. 講義や実験の問題点について

上で書いたことは大学の構造的な問題だと思う。
というのも、教授が教員としてどれだけ努力して講義を素晴らしい物にしても、自身の給与や研究には一切関係ないようなのだ。
だったら、研究の方に注力するのは当然とも言えるし、講義に力を入れない教員と、やる気がなく出席とテスト勉強だけする学生は、Win-Winの関係となると言える。
一応、大学としてはどの講義が面白かったか、その講義は適切になされていたか、というアンケートのようなものを配り、それを元に各々改善するように通知しているようだが、偉ぶりたい傲慢な大多数の教授が謙虚にアンケート結果を振り返るとは思わないし、そもそもアンケートの結果が適切なものになるとは思いがたい。

5. 最後に

2年で1年次の時とは異なるサークル的な部活に入り直し、そこでは比較的良好な関係を築けたということを最後に付け足しておくが、これだけが救いであった。

あと、この大学生活を振り返ってみて、真面目な学生は損をする構図になってるんだなあ、と再び感じた。
大学生活は、ひたすら酒・女・趣味に徹するのが良いらしい、というのが僕の最終的な結論だ。
地元の大学で真面目に学習して、専門をしっかり身に付け、講義にしっかり出席し、研究もしっかりこなしていく学生は、少なくとも大学ではバカを見る。
あと、他の学生と課題などに関して議論するという古風なことを夢見るのはやめた方が良い、つらい思いをしたくなければ。周りにいる学生はそんなことを望んじゃいない。シリアスな話はご法度だ。素直に器量の良い女とヤる話だけしてればよろしい。
というわけで、一部の超名門校を除くと、モラトリアムを過ごす以外に大学生活の意義は、全く無いみたい。
でもモラトリアムを過ごすだけなら大学に行く意味って出会い以外に無いし、理系はそもそも女子少ないから行く意味無くね?って思う。
あと、大学卒業や大学院修了という資格を取りに大学に行くという態度は意外と正しいのかもしれない。
だけど、4年間もしくは6年間と数百万を使ってその資格と出会いの場だけ、っていうのもなかなか悲しい事実だと思う。

ちなみに授業料免除はその学生の親の貧困度によって決定されるらしく、成績は足切り以外一切関係ないので注意してね。僕は比較的金銭的には問題無かったので、ダメだった。明らかに成績が下位層の人は全額免除になってたんだけど・・・。
まあ、学費は借金として自分で払います。まあ、たかだか数百万ですし。

いずれにせよ、日本におけるランキング上位の名門校やその分野で超有名な研究室以外の大学や研究室の価値ってホントに無いと思った。
もちろん異論は認めるけれど、充実した学生生活なんてなかった。

拍手

コメント













カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

アーカイブ

AD

Azkishはamazon.co.jpを宣伝しリンクすることによって サイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、 Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。