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Azukish

消えゆく世界と流れる未来に最後の灯を since 2006/4/3

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2015/02/26

愛知にある名古屋城について。

名古屋に諸用で行って来ました。
ちょっと東京に戻る新幹線に乗るまでに時間があったので、名古屋駅から名古屋城まで歩いて行ってみました。
それで、少しおもしろいなと思った名古屋城とそのお堀についてちょっと書いてみます。




名古屋城っていうと、金のしゃちほこだとか、内堀の鹿だとか、そういうところに目がいきがちだけど、加藤清正像だとか、街の中にある城下町の片鱗とかそういうものを観光がてら見てもおもしろいと思いました。

加藤清正像はこんな感じ。
名古屋城の南西(?)の、能の建物よりでかい道路側にあります。

後ろに見える青緑色の屋根が名古屋城。
名古屋城までは時間が無くて見れなかったのと、天気が悪かったのが残念。

で、その辺にこんな看板的な表示がありました。
矢穴とは意思を切り取る際に彫られた穴であり、矢穴を使って石を切り取る方法は戦国時代の終わり頃から使われ始め、道具を変えつつ現在も用いられています。名古屋城の石垣には『矢穴』が残された石が多く見られます。
石の切り取り方は、まず「セットウ」と「ノミ」という道具で、切り取ろうとするラインに沿って矢穴を彫ります。次に矢穴に断面が三角形状の「ヤ」を差し込み、叩きます。ヤが叩かれると矢穴を押し広げるように力が加わり、矢穴に沿って石が切り取られます。割れた面には歯形のような矢穴の列が残ります。
しかし、矢穴を彫っても思い通りに切り取れるとは限りません。石には目と呼ばれる割れやすい方向があり、矢穴が目に沿っていなければ割れません。また、矢穴が目に沿っていても割られなかった石もあります。そのような石には表面に矢穴の列が残ります。

展示しているのは知多半島の先に位置する篠島に残されていた石です。矢穴の形から江戸時代に彫られたと考えられ、当時の石を切り取る技術の一部を観察できる資料です。篠島には矢穴の残る石が多く点在し、加藤清正が名古屋城の石垣を築くために篠島で石を採ったという伝承も残されています。
これを読んだときに「そういえば愛知県図書館に歯車みたいな模様の入った石があったな」とか思いまして。

で、なんとなく戻ります。

これは愛知県図書館の南側。この左側に見える石垣、通ったときに少し妙だとは思ってました。
でこの石垣をよく眺めてみると、

見事に歯形の付いた石がいくつもあります。

要はこの辺、外堀のあった場所なんですね。
よく見ると変というか、シュールというか、腑に落ちないところがいくつもあります。
たとえばこれ。

愛知県図書館はけっこう現代的な外観をしていますが、それに石垣って・・・。
しかも窓の真正面にこんなもの作られたら外見えないじゃないですか(笑)

あと、これとか。

明らかにこれ不自然じゃないですか?
ついでに写真には入ってませんが、右上に図書館があり、結構この山高いです。
どうも愛知県図書館のすぐ南側あたりを当時は堀川が流れていたようなのですよ。

今はこんな風にその川の名残はあってもモノ自体は無く、土地としても駐車場だったりと特に使われているわけでもないようです。
また、そうすると、城の四方をお堀で固めるために、現在の堀川に平行に流れる川が名古屋城の東側にあるはずなのですが。
これは掘留ってところで止まっちゃってるのでしょうか?

また、名古屋城の南側から掘留くらいまでの間の区画が碁盤の目のように真四角で区切られているのも興味深いですね。

昔は城下町だったのでしょうか。
たぶん、どこかに当時の地図みたいな資料があると思うので、時間があったら見てみるのもいいかもですね。

そんな風に色々と妄想を膨らませていたら、もうこんな時間だ。
さっさと寝なくては(笑)

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