消えゆく世界と流れる未来に最後の灯を since 2006/4/3
な~んの意味もありゃしない。
テストのためだけの勉強。
資格のためよりも意味の無い勉強。
これは”学習”じゃない。
完全に”勉強”だ。
僕は”勉強”が非常に嫌いなので、もう精神的にだいぶ病んできました。
少なくとも受験の時は、”学習”だったろうに。どうして今は”勉強”になったんだろう・・・。
考えるととても哀しい。
それだけ自分の意志、ココロザシが弱くなったって事に直結するだろうから。
だけれども。もう戻れない。引き返せない。
テスト勉強、もうちょっとやりたかったけど、そろそろしんどくなってきた。
酒でも飲んで寝ようか。
きっと悪い夢で今日の悪い出来事を流してくれるに違いない。
あともう少し。
保ってくれよ。
ポルノの歌じゃないですが。
今日少しぐるぐると考えてしまった。
もちろん、今も美味しいワインを飲みながらぐるぐる考えている、つもり。
さて。で、早速結論ですが。
僕は少なくとも
「今現在の段階で幸せでないことが幸せであるということ」
だという結論に至ってしまった。
で、その理由をつらつらと。
学校のテスト週間に入りました。
あまり勉強はしてないけれど、結構忙しいらしい。
というのも、一日の内容をほとんど何も記憶してないのだ。
忙しいとよくそういう現象になる。
まあ、簡単に言うと、一日が非常に希薄だ。
やってることがほとんどワンパターンだからね。
まあ、そういうわけなので、明日からもまた頑張りますか。
本当にもう、ね。
なんか、そう、そうなんですよ。
俺はそもそも、努力してもあまり報われない、そういうタイプ。
金にも利益にもなりゃしないこと”だけ”を精一杯頑張るタイプ。
分かってますよ、ええ。
だけどでも。
遊びほうけて何もしないやつらと比べればだいぶマシなような気もしなくもない。
遊ぶだけなら誰でもできるしね。
何もしないで権利だけ主張する奴、
やることもやらずに高望みだけする奴、
何もできないくせに色々やりたがる奴。
私は少なくとも君たちは大嫌いだ。
しかし、時には(というが、実際はほぼ毎日)、付き合わなきゃいけないこともある。
分かってる。
どうしようもないことも知ってる。
だけどでも。
それでも嫌だなと思ってしまう。
本能だとか、生理的なアレをいくら殺しても。
だめだ、やはり俺はやっぱり、それでも神様にはなれそうもないな。
もちろんなりたくもないが。
それが、良い一年になるかどうかは、少なくとも今の僕には、分からないけれど。
やらなきゃいけないことを後回しにしたくなるお正月。
明日からで、いいや。
今はちょっと、休ませて。
ある程度エネルギーを補充したら頑張ります。
とりあえず、目標は夏。定めて定めて狙い撃て。
も一つしなければいけないレポート。
せっかくの休みをすべて休むのに使ってしまいそうだから、終わってから忙しくなるだろう。
やりたいことも多々ある。
春休みにスキー行きたい。
青春18きっぷでどこかにでかけたい。
いろいろな事をするためにはお金と時間が必要。
それを捻出するために、今しなければならないことをしなければいけないのだけれども、やっぱり面倒くさい。
気持ちは一年前から萎えに萎えてる。
それでも生きていかなきゃいけないんだって。
そう考えると、この社会のすべての物を、恨みたくなってくる、そんな気持ちも認めて欲しい。
そんなお正月です。
まあ、世の中には変な人というのもいるらしくてさ。
確かに放射能を浴びて育ったコメなんて結局誰も食べたい人なんていないだろう。
ただ、3.11までそれでしかやってこれなかった人たちに対して、
「貴様等は毒米を作ってるから今すぐやめろ」って言うのは、
「教授どもなど理屈ばっかりこねてて使えないから今すぐ研究全部やめろ」って言ってるようなもので。
多少理不尽な気もする。
結局のところ、米を作るのが危険と思われている住民をまるごとどこか、
遊ばせてる畑が多いような場所に移住させられればいいんだけれども。
しかし、東北のおじーさん、おばーさんがそれを許さない。
彼らは『地元』の呪縛を断ち切ることはできないらしい。
俺らがあっち行け、こっち行けと言われる分には一向に構わない。結局どうせ、文句言いながらその方向へ向かうだろう。
だけど、歳をとっている人はきっと、その土地に未練が山のようにあるに違いない。
放射性物質があちこちに拡散していて、きっと、日本に最も安全な所なんて無いだろう。
そんななかで、安全と思われるような部分に米作りを集中させて、危険な区域の食物を排除することは必要な事かもしれない。
結局のところ、全く何も考えず、機械的に行動するのならば、早川教授の言ってることは正しいのかも知れない。
だけれども、実際のところ、医学系のアレではないが、『倫理的な』問題が立ちはだかる。
それでも強制的に全て排除するのか、
多少の放射性物質は我慢して食べつづけるのか。
風潮的には後者の方が強いと思われる。
ただ、実際には法的な規制はかなり緩和されている。
だから、普段食べるものに、完全に安全なものなんて無いのだ。
食の安全とかをもう一回よく考え直す良い機会だ。
そして、色んな事を自分の思うままに喋り尽くす自称『教授』、自称『有識者』のせいで、この国はぐちゃぐちゃになっていることを俺は否むことをしない。
分からないことは素直に「分かりません」って言えない、そんな教授こそがやめさせられるべきじゃないのだろうか?
そして、もしも、何の解決策も無いまま、暴走列車のように突き進むのならば、いっそのこと、未来の事は今の子供たちに決めさせればいいのではないのだろうか?
自称『大人』たちの未来の子供にツケを払わせるようなバカな行為によって、この国はどんどん失っていく。
その失っていくものが文化なのか、歴史なのか。
その失われていくものが命なのか、誇りなのか。
まだ若い俺には分からないな。
『大人』になれば分かるのかな。
何も考えず、何もやろうとしない自称『大人』になれば。
何もかもがうまくいかないこの状況下で
試されているなどとおこがましい言葉なんて使うことができないよ。
「忙しい」ってのはもっと時間をうまく使えてる人だけが使える言葉。
「つらい」ってのはもっとひどい状況下にある人だけが言える言葉。
「楽しい」ってのはもっと人生を謳歌している人だけが書ける言葉。
だから、僕はいつでも忙しくないし、つらくもないし、楽しくもない。
ただ、ちょっと疲れてるだけ。
疲労疲弊疲労疲弊。
いったいいつまでこんな茶番を繰り返すハメになるのか、
いったいいつまで馬鹿みたいに馬鹿な事を馬鹿のやるように馬鹿馬鹿しくやってなきゃいけないのか。
この環境は、僕のプライドを完全にヘシ折ってさらにお釣りがくるくらい嫌な場所だ。
意味のないことをいつまでも繰り返す。
疑わなければそんなに苦しくもないに決まってる。
言われたことをまるでコンピュータがごとく繰り替えしてりゃいい。
100枚でも200枚でも書き上げてりゃいいさ。
ただ、こんな馬鹿げた茶番に意味を感じない僕は、
いつまで経っても、これを押し付ける馬鹿どもを馬鹿呼ばわりするしか能がないのだ。
それが苦しくて、悔しくて、情けなくて。
だからそれをバネにして、
今日も僕は沈みゆくのです。
ああ、疲れた。