こんにちは。
突然ですが、みなさんの食べているお米は何が作ったか、知っていますか?
「決まってんだろ、そんなの。百姓だろ、百姓。農家の方々が作ってんだよ!」と、思ったあなた。
僕は「何」が作ったか、と訊きました。「誰」がではございません。あしからず。
まあ、だいたいの人が「水」とか、「土」とか、「肥料」とか、「百姓さんの血と汗と涙と努力の賜物(素晴らしい)」とか言いますね。当然です。そう習ってきたんですもの。
で、その肥料なんですが、江戸時代に何が使われてたか知ってますか?
まあ、このウェブログを見ている方の中にはもちろん、聡明なお方もいらっしゃると思うので、見透かしているのかもしれませんが、「人の糞尿」です。
まあ、江戸時代っていうとかなり昔で、「I'm Samurai.」とかいう方々がたくさんいたというのはみなさんご存知であると思うのですが、みなさんは知ってましたか?
ズバリ、人の糞尿が、高く売れたのです。
その頃は鎖国で、外国の技術、思想が入ってこなかった、ペリーが来てから開国した、と、いうのはかなり有名な話だと思います。
で、その後に欧米の技術、思想、何もかもを日本人はせっせと取り込んでいきました。
その間にたくさんの日本の素敵な部分が切って落され、「mass production and consumption」、日本語に訳すと「大量生産・大量消費」の社会となってしまいました。最近よく聞く言葉です。
最近、「循環」とか「エコ」とか聞きますが、僕にはそれらが「停滞」、「エゴ」にしか見えません。
循環型にするのなら、その辺も徹底するべきではないでしょうか?
「人の糞尿は汚い」という声が上がるでしょうか?
なら、牛の糞なら汚くないのでしょうか?
みなさんは家庭菜園をやっている方なら誰しも、牛糞、鶏糞はよく使うはずです。それらが良いのならば、人間の糞だって同じではないでしょうか?
まあ、僕はまだ世界に助言することも、政治家を指差して批判することも、日本が誇る研究者にケチをつけることもできない身分です。
でも、分かる。
この世界はきっと、汚い。
日本はもともと循環型社会だったはずです。
人の糞まで大事に使って来たような文化ですから。
今は洋服は安物を基本にして作られていますから、みなさんは安心して捨てられるわけです。いい身分だ。
でも1960年くらいまではたとい洋服であったとしても、つくろって、修繕して使っていたのです。
たった50年です。
たった50年の間に大量生産・大量消費が始まった。
その結果、川は汚れ、地は力を失い、生物はそれらによって死滅し、それをあわてて付け焼刃の技術で直した。
それで、しかもそののちに「木が大事だ、切ってはいかん」というお触れを出したからに山の手入れをする人が減り、たくさんの人が農村から出て行き、過疎・過密の酷い場所がたくさん出てきた、というわけです。
笑ってください。当時の人々を。
うまくいくはずがないのです。技術だけで無理やり推し進めようとしても。
今までずっと、そのままでいいように作ってきた文化を、技術でいっぺんに変えようとしても、絶対にできっこないのです。
今このブログを見てくださっている皆さんに言いたい、あなたたちの家の前にあるアスファルトの道路を見てください。
見てください、何も考えずにコンクリート詰めにした川を。
見てください、僕たちの周りに、如何に捨てる為に存在するモノが多いかを。
循環型社会=ハイテクノロジーの遺産ではないのです。
例えば、都市に太陽光発電のパネルを置くとします。
でも、それは屋上緑化と同時に用いることはできません。
例えば、風力発電所を山の奥に作るとします。
でも、それは風の強い場所を選ばなくてはならないし、しかもその場所を風力発電だけの為に使う事になります。
当然、両方、うまくいくのは限られた情況にのみ、成り立ちます。
僕は、世界の全てを知っているわけではありません。当然です。そんな全知全能な存在なわけがない。
ちっぽけな、65億の中の一人でしかない。
でも、警鐘を鳴らしたい。
だって、次は僕たちの世界だから。
子どもがこんなつまらない文章を読んでも仕方ない。
僕は大人に読んでほしい。
大人はずるい。
僕はまだまだ青い。
それを理由に、僕たちを奈落の底へと誘うんだ。
みんなは知ってるか?
僕たちは、きっと、「万能の」技術と、「無能の」文化によって支えられているんだぜ。
誰も信じはしまい。
一度前に戻って考えませんか?
何かがまたおかしくなる、その前に。