大変だー、大変だー、とは言うけれど、
実際に大変なのは現地にいる人と親とかで、
現に、自分はあまり変わりのない生活を送ってる。
特別幸せだとは思ったことはないけれど、
今回ばかりは自分が幸せだということに気付かされた。
そう思う。
今までに色々、TRUEとかを通じて色々な事をしてきたけど、
やっぱり自分には「居てほしい人」と、「消えてこの世から消えてほしいほど憎んでいる人」の2パターンが確かにいるらしいということに気付いた。
正直、少し気付くのが遅すぎたと思ったが。
後者には、
よく知りもしない人がいるらしいことも確からしい。
例えて言うならば、後期の授業で使った教科書の訳者とか。
ただ、この世の中はいいことずくめじゃないことくらいは物心つき始めた頃から知ってたから、
別に後者の方々全員に命を捨ててほしいってわけでは無い。
だから、特に自分としては言うことなんて何も無い。
逆に、生きてて欲しい人に対しても、その人たちに「生きろ」なんて言うのは極めて野暮だ。
実際に津波を経験していない自分からすれば、仙台や福島沖の人々の話はテレビの向こうの出来事でしかあり得ないんだ。
それらの人々に、
生きてほしいって、どれだけ強く望もうと、
ネットにどれだけそのような気持ちを刻もうと、
心の奥底から想っているとは限らない。
いや、もっと言えば、想えるはずが無い。
同じように、どれだけ「消えてほしい」って憎んでも、
どれだけそれらの人に殺意を抱こうと、
大抵はお遊びの世界。小説以上にはなり得ない。
そーゆーことだと思った。
さて、地震が起こってひたすらずっと家に篭もってたワケでもないが、だいぶ無為に時間を過ごしてきた。
ガソリンの問題も、所持金の問題もあったけど、それらは単に言い訳に過ぎない。
本当に嫌な学校が再び始まるまであと2週間を切った。
さて、何かアクションを起こすか・・・?
いや、それともアクションを何も起こさないというのも一つの選択肢か。
いずれにしろもうどうなっても構わないという負の感情が働きはじめてる。
何もしなくても、「何かをしなければならない」状況にならざるを得ないだろう。
だったら、何かアクションを起こすべきだとは思うけれども、
まあ、起こさないというのもなかなかに度胸のある行為だとも思うので、
とりあえず、しばらくの間は、アクションを起こさないでおく。
どのみち起こしたとしても悪い対処ということで悪処と言われてしまうだろうからね。
P.S.もしも、死ぬことによって、人生のやり直しがきくのならば、
うってかわって今度は逆に、死ぬことを選ぶかもしれない。
失うものは多いかもしれない。
ただ、失ったものが多すぎた。
それを、バカな自分はいつまでも後悔しつづけるんだろうな。
バカな自分は。