いやぁ、別に僕が云々言うことではありません。
もう決まっちゃったし、もう済んだことですから。
でも、言いたい。
日本が更にアメリカナイズされていきます。
東洋の哲学というか、倫理学というか、そのような観点になってしまいますが、日本人に「心はどこにあるか?」と質問すると、大抵は「胸」と返ってきます。しかし、アメリカで同じ質問をすると、「頭」と返ってくるそうです。
この辺の思想できっといままでこの脳死についての問題は先送りにされ続けていたようなのですが、僕は脳死には、どちらかといえば反対です。
まあ、この先は僕の個人的な倫理観と言いますか、偏見とかいう人もいるかも知れません。ですから読まなくても結構ですが、興味を持たれた方だけ読んで下さいな。
で、ですね、まず、この問題で脳死が死と同様に位置づけられたということは、この法律、権利が濫用されるのではないかという心配ですね。
まあ、これは当然誰もが思っている事なので、省略します。
で、二つ目がやはり東洋の思想というものです。
この問題に関して様々な人が討論をしてきました。
だからこの法に肯定派の人にあえて問いたい。「あなたの心はどこにあるのか?」と。
もしも、胸という答えが返ってきたならば、脳死についての法律は存在しなくても構わないと言っているようなものではないかと。
なぜなら、脳死=死と結びつけるのならば、脳は心臓よりも大事である。と言っているようなものなので。
が、もしも、頭と答えたのなら、僕はこの日本という国に悲しみを感じざるを得ません。
なぜなら、東洋の思想をそっちのけに、西洋の思想を取り入れてしまったからです。
僕は、どちらかといえば、未来に向かって進むよりも、過去に戻りたいという願望の方が強いという点、復古主義に近い思想の持ち主なので、日本がアメリカやヨーロッパを真似て、しかもそれが中途半端であるというのはすごい嫌なのです。簡単に言うと、気持ち悪い。
もちろん、江戸時代とかには「儒教すらも邪道だ」って言ってた人ももちろんいますが、自分はそこまで戻らなくてもいいから、もう少しだけ、日本を見直そうよ、てみなさんに言いたいのです。
アメリカに行って気づきました。
「日本に憧れているアメリカ人」と「アメリカに憧れている日本人」、「アメリカ人よりもアメリカ人に近い日本人」と「日本人よりも日本人らしいアメリカ人」の二通りの人種がいるようであります。
なぜ?どうして?なんで、そんなにアメリカに固執するのでしょうか?僕には理由が分からない。
そして、こんな日本にしてしまったのは、今の大人、貴方たちだ。
未来を担うのはまだ子どもの僕たちであるはずなのに、貴方たちは僕たちに何一つ選択肢を与えてはくれない。
何がしたいのか分からないうちからいろいろな物事を突っ込まれて、
何を感じているのか分からないうちから酷い感性を磨かされて、
何に魅せられているのか分からないうちに天性を磨きはじめる。
医学、工学、文学・・・。
これらが発達してしまったために、僕たちは堕ちていく。
そして、僕たちが堕ちるごとに世界は進んでいく。
何も知らない僕たちは、ただ、悪いのか良いのか検討もつかない大人たちに、そうなのかどうなのか分からないうちに魅せられて、そして同様に消えていく。
僕は「日本万歳」とかは言わないようにしている。軍国主義は嫌いだ。
でも、僕たちは堕ちることを止められない。
病み付きの味のマリファナは、僕たちをどこまで堕としてくれるのかな?
もう、どうでもいい。
でも、こんな密閉された情況の中でも、嫌々ながら生きていかなきゃならない。
心の上澄みには死にたいという趣旨のリリックがいっぱい。
でも、心の奥底の泥沼のさらに奥には、きっと生きたいっていう気持ちが埋もれているから。
そう信じなきゃ、やっていけないから。
そう信じなきゃ、自分に嘘をついているのがバレちゃうから。
だから、ひたすら前に進むんだ。
日本という国の文化に栄光あれ。
いつの日にか滅びて朽ち果てるその日まで。
asahi.com『「子の命は」親心明暗 「脳死は人の死」成立』