2年以上も前の事の夢を見た。
金も無くて、時間も無くて、とにかく忙しかった時代だ。
ただ、結構鮮明に覚えていることも多い。
今は、わりと余裕がある。
でも、何か虚しい。
何かがぽっこりと、心とかいうものから抜け出て、
そこに真空がある、そんな感じ。
そんな空虚を満たしてくれるような夢だ。
いつ見たかはちょっと鮮明ではない。
今日だったか、昨日だったか、それとも単に自分の脳みそが考えただけなのか。
よく覚えてはいない。
今考えてみると、毎日がツラかったあの時間は、
あの時代は、
あの匂いは、
あの空間は、
あの音は、
あの声は、
あの気持ちは、
あの感覚は、
あの痛みは、
きっと、どんなものにも代えられないような、そんなものだったのかもしれない。
と、今嘆いても仕方ない。
仕方ないのは分かってる。
でも、今があまりにも平穏過ぎて、
今があまりにも楽過ぎて、
今があまりにも虚し過ぎて、
今があまりにも眠すぎて、
今があまりにもつら過ぎて、
今があまりにも哀しすぎて、
そんな時代が非常に嫉ましく、そして羨ましく、そんな風に思えてしまう。
確かに、いつか見たような、そんな光景だった。
日常。
ただ、そんな日常だけど、今の僕から見たら、それは非日常。
誰かの日常だったものでしかない。
残念ながら、かつて自分の日常だったものを追体験することは不可能らしい。
それは、僕が過去に生きてるような人間だからか。
ただ、徐々に過去から現在へ、眼の位置がシフトしてきてる。
それは実感してる。
あれは今日。
これは夢じゃない。
散歩をしてた。
家の近くをゆっくりと、犬を連れて、歩いてた。
風が緩やかに、でも確実に、吹いていた。
空がなめらかに、でも滞り無く、蠢いていた。
そんな中、歩いてた。
錆びたガードレール、ひび割れたアスファルト。
川にはゴミがいくつも捨てられてて、臭いはしないけど、綺麗ではないことは確か。
看板の文字は蒸発していて、赤が黄色っぽくなってた。
道行く車はくたびれていて、数年前の映画の一場面みたいだった。
雨が降ったあとだったからか、わずかにそんな肌寒さが残ってた。
僕は歩いてた。
そんなときに、今まであまり好きじゃなかった、そんな不完全性が、なぜか、とても美しく見えてしまった。
何もかもがみんないびつ。
同じ形、同じ重さ、同じ固さのものなんてなにもない。
そんな不完全性。
今まで嫌いだった。
何もかもが筋が通っていて、そんな道を歩いてきたセイか、どうだかは知らない。
でも、そんな、世界中の何もかもがかなり、光って、何かの有名な宝物のように綺麗に見えた。
そんな、日常。
まわりから見ても、自分が思っても、どこにでもあるような、表現するのはしごく簡単な”日常”。
ただ、そんな日常に、何かを感じた。
明日から毎日が変わればいいなと思ってブログを書いてる。
そんな自分は心底、明日も何も変わらないだろうと願ってる。
そんな毎日。
では、おやすみ。
良い夢を見れるといいね。