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Azukish

消えゆく世界と流れる未来に最後の灯を since 2006/4/3

2009/10/14

希望なんて言葉を軽々しく使いやがる大人は大っ嫌いだ

最近、はやってますね、「ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群」ていう病気。
まあ、良く番組で出る際には「プロジェリア」と簡単に書かれてますが。まあ、同じでしょう。
命の重みがどうとか、悲しいとか、感動モノだとか、色々な人がいろいろな事を書いてる、それが番組側の策略である可能性があるとも知らずに。

プロジェリアをもっと大きな枠で見た、早老症という病気がありますが、その中にはプロジェリア以外にもいくつか種類があるらしい。
ウィキペディアで調べてみたところ、7つ程あるらしいのですが、何故かプロジェリアだけいやに詳しい。やっぱりテレビの影響でしょうか。
たまたまテレビのを見て、がっかりしました。
内容がないよー。
結局何が言いたいのか分からないし、なんかインタビューみたいな場面でしょっぱなから
「今一番辛いことを教えて」
だそうですよ。
あんたの言葉が一番つらいわっ(分からないとその人は答えてました)!!て自分だったら答えるところですが、初対面の人に今一番辛いことを教えてやるっていうのはどうかと。
番組を通じてその子(もちろん僕に「その子」なんていう権利はない)の心(もちろん僕にも分からない)をズタズタに引き裂いてるような気がして見てられませんでした。

今、「いのち」とか「人生」とか、漠然とした物事を扱って適当に視聴者を感動させて視聴率を取ってる番組が多い気がする。
まあ、テレビなどというのは視聴率さえとれればなんでもいいっていう方針だから、別に自分にどうこういう権利はないと思う。
でも、ねぇ・・・。
「人生」、「いのち」、「希望」、「勇気」・・・。その人その人に一つずつしかないんですよ?それなのにそんなに軽く扱っていいんですかね?
僕には理解できない。見る人の気持ちも、見せる人の気持ちも。
それで感動して、「ソノ病気ダケ」を見ようとする。他の病気、自分たちの問題には一切触れようとはしなくなる。

第一に、僕たちに彼らの人生に介入できるだけの権利があるだろうか?
僕たちに彼らの人生を適当な気持ちで見てその時だけ感動するくらいの権利があるだろうか?
まだ死んでもいない僕たちに「死」とか「生」とかを語る権利があるだろうか?
どこにあるだろうか?、どこにもありはしないに違いない。

だから僕たちは今日の一分一秒を大切に使う権利を与えられたのだ。
だから精一杯生きるのだ。
その時に始めて権利の方から寄ってくるに違いない。

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