あけましておめでとうございます。
新年も、更新できる機会は増えないかもしれませんが、よろしくおねがいします。
前回、カメラのマナーについて書かせてもらった。
カメラのマナーを守りたいと思うというのは、前回述べた通りだ。
で、今度はもうちょっと、姿勢的なことで書きたいと思う。
もちろん、僕のとんでもなく個人的で、誰も真似しないような姿勢なのかもしれない。
個人的だ。
そもそも写真なんてものは、もしかしたら、自己表現の為の一つの手段でしかないのかもしれない。
もしかしたら、誰かがノートの端切れに書く陳腐な小説みたいなものなのかもしれない。
もしかしたら、旅の記念撮影と、芸術的な撮影に違いはないのかもしれない。
写真は、絵画とは違う。
でも、どこか似ている。
絵画は、美術だと言えると思う。
でも、写真はそうとは言えないと思う。
写真は、シャッターチャンスという言葉から想像できるように、一瞬の勝負だと思う。刹那的だと思う。
でも、絵画は、連続的だ。
そんな風に、似ているようで、どこか違う。
ただ、最近、それは変わってきてるんじゃないかと思う。
だいたいデジタル化のせいだと思う。
もちろん、それが悪いなんてとんでもない。良いとも悪いともとれるからだ。
デジタル化されたものは、非常に加工が簡単だと思う。
もちろん、それは比較的であって、デジタル化された方が逆に困難な加工もあるかもしれない。
しかも、僕はフィルムの時代には生きていない。
生まれた時からというわけではないが、デジタルの時代に育っている。
だから、厳密に比較は出来ないし、そんな時代を知らない。
でも、写真に関して言えば、多分、簡単になったと思う。
で、それが、写真から”真”という字を奪ったんだと思う。
それが悪いことかいいことか、僕には分からない。
ただ、写真から写真的な要素が薄くなって、絵画的な要素が増えたように思えてならない。
前置きが長くなった。
だから、僕は、フィルムで撮る時は”真実”を刻み、デジタルで撮る時は”芸術”を刻みたいと、そう思っている(腕はまだへっぽこだけど)。
リアルとアートがあって、今までは、写真はリアルに近かった。
でも、今はアートに近づきつつある。
別に逆行しようとか、それに打ち勝つようなTIDEを生み出そうとか、そういうことを言いたいんじゃない。
その流れに沿って、流行がどうとか、あのレンズはMTF曲線が云々とか、そういう専門的なこととかを言いたいんじゃない。
こんな風にいろんな分野に写真が広がっているからこそ、今、自分というものを表現するのに写真はぴったりなんじゃないかと思うんだ。
今は群雄割拠みたいな、百花繚乱みたいな、そんな時代だから、カメラや写真を楽しむ人が、もっともっと増えて、それぞれがそれぞれの楽しみ方で、自己表現をしてくれれば、そんな風になればいいな、なんて。
そんな平和主義な考え方で、今日もシャッターを切るのだ。
もちろん、リアルとアートの比重を考えながら。