消えゆく世界と流れる未来に最後の灯を since 2006/4/3
本当にもう、ね。
なんか、そう、そうなんですよ。
俺はそもそも、努力してもあまり報われない、そういうタイプ。
金にも利益にもなりゃしないこと”だけ”を精一杯頑張るタイプ。
分かってますよ、ええ。
だけどでも。
遊びほうけて何もしないやつらと比べればだいぶマシなような気もしなくもない。
遊ぶだけなら誰でもできるしね。
何もしないで権利だけ主張する奴、
やることもやらずに高望みだけする奴、
何もできないくせに色々やりたがる奴。
私は少なくとも君たちは大嫌いだ。
しかし、時には(というが、実際はほぼ毎日)、付き合わなきゃいけないこともある。
分かってる。
どうしようもないことも知ってる。
だけどでも。
それでも嫌だなと思ってしまう。
本能だとか、生理的なアレをいくら殺しても。
だめだ、やはり俺はやっぱり、それでも神様にはなれそうもないな。
もちろんなりたくもないが。
それが、良い一年になるかどうかは、少なくとも今の僕には、分からないけれど。
やらなきゃいけないことを後回しにしたくなるお正月。
明日からで、いいや。
今はちょっと、休ませて。
ある程度エネルギーを補充したら頑張ります。
とりあえず、目標は夏。定めて定めて狙い撃て。
も一つしなければいけないレポート。
せっかくの休みをすべて休むのに使ってしまいそうだから、終わってから忙しくなるだろう。
やりたいことも多々ある。
春休みにスキー行きたい。
青春18きっぷでどこかにでかけたい。
いろいろな事をするためにはお金と時間が必要。
それを捻出するために、今しなければならないことをしなければいけないのだけれども、やっぱり面倒くさい。
気持ちは一年前から萎えに萎えてる。
それでも生きていかなきゃいけないんだって。
そう考えると、この社会のすべての物を、恨みたくなってくる、そんな気持ちも認めて欲しい。
そんなお正月です。
まあ、世の中には変な人というのもいるらしくてさ。
確かに放射能を浴びて育ったコメなんて結局誰も食べたい人なんていないだろう。
ただ、3.11までそれでしかやってこれなかった人たちに対して、
「貴様等は毒米を作ってるから今すぐやめろ」って言うのは、
「教授どもなど理屈ばっかりこねてて使えないから今すぐ研究全部やめろ」って言ってるようなもので。
多少理不尽な気もする。
結局のところ、米を作るのが危険と思われている住民をまるごとどこか、
遊ばせてる畑が多いような場所に移住させられればいいんだけれども。
しかし、東北のおじーさん、おばーさんがそれを許さない。
彼らは『地元』の呪縛を断ち切ることはできないらしい。
俺らがあっち行け、こっち行けと言われる分には一向に構わない。結局どうせ、文句言いながらその方向へ向かうだろう。
だけど、歳をとっている人はきっと、その土地に未練が山のようにあるに違いない。
放射性物質があちこちに拡散していて、きっと、日本に最も安全な所なんて無いだろう。
そんななかで、安全と思われるような部分に米作りを集中させて、危険な区域の食物を排除することは必要な事かもしれない。
結局のところ、全く何も考えず、機械的に行動するのならば、早川教授の言ってることは正しいのかも知れない。
だけれども、実際のところ、医学系のアレではないが、『倫理的な』問題が立ちはだかる。
それでも強制的に全て排除するのか、
多少の放射性物質は我慢して食べつづけるのか。
風潮的には後者の方が強いと思われる。
ただ、実際には法的な規制はかなり緩和されている。
だから、普段食べるものに、完全に安全なものなんて無いのだ。
食の安全とかをもう一回よく考え直す良い機会だ。
そして、色んな事を自分の思うままに喋り尽くす自称『教授』、自称『有識者』のせいで、この国はぐちゃぐちゃになっていることを俺は否むことをしない。
分からないことは素直に「分かりません」って言えない、そんな教授こそがやめさせられるべきじゃないのだろうか?
そして、もしも、何の解決策も無いまま、暴走列車のように突き進むのならば、いっそのこと、未来の事は今の子供たちに決めさせればいいのではないのだろうか?
自称『大人』たちの未来の子供にツケを払わせるようなバカな行為によって、この国はどんどん失っていく。
その失っていくものが文化なのか、歴史なのか。
その失われていくものが命なのか、誇りなのか。
まだ若い俺には分からないな。
『大人』になれば分かるのかな。
何も考えず、何もやろうとしない自称『大人』になれば。
何もかもがうまくいかないこの状況下で
試されているなどとおこがましい言葉なんて使うことができないよ。
「忙しい」ってのはもっと時間をうまく使えてる人だけが使える言葉。
「つらい」ってのはもっとひどい状況下にある人だけが言える言葉。
「楽しい」ってのはもっと人生を謳歌している人だけが書ける言葉。
だから、僕はいつでも忙しくないし、つらくもないし、楽しくもない。
ただ、ちょっと疲れてるだけ。
疲労疲弊疲労疲弊。
いったいいつまでこんな茶番を繰り返すハメになるのか、
いったいいつまで馬鹿みたいに馬鹿な事を馬鹿のやるように馬鹿馬鹿しくやってなきゃいけないのか。
この環境は、僕のプライドを完全にヘシ折ってさらにお釣りがくるくらい嫌な場所だ。
意味のないことをいつまでも繰り返す。
疑わなければそんなに苦しくもないに決まってる。
言われたことをまるでコンピュータがごとく繰り替えしてりゃいい。
100枚でも200枚でも書き上げてりゃいいさ。
ただ、こんな馬鹿げた茶番に意味を感じない僕は、
いつまで経っても、これを押し付ける馬鹿どもを馬鹿呼ばわりするしか能がないのだ。
それが苦しくて、悔しくて、情けなくて。
だからそれをバネにして、
今日も僕は沈みゆくのです。
ああ、疲れた。
先に言い訳から入ると、レポートが終わらなかったのです。
今日はたまたま12時よりも前にレポートが終ったため、このようにブログだけ書かせてもらってます。
まさかここまで余裕がなくなるとは正直思ってなかった。
というか、大学生ってもっとこう、青春とか楽しいとかモラトリアムとか、そーゆー言葉で満ち溢れてなかったっけか?
最近、毎日がグロッキーで、時間が早い。
11月に入った当初が昨日のように感じられる
割には、実際、11月当初のことなんて全然覚えてないし、記憶が飛ぶのが異常に早い。
覚えたことを覚えた順番に、次の日には忘れている、そんな感じ。
まあ、バイトとか、レポートとか、日々のくだらない出来事とかに東奔西走してたら日が過ぎるのも早いと頷けるっちゃそうなんだけどね。
というわけで、そろそろ前進、始めようか。
今までは足踏み。ここから進んでくよ。
おかしい。
何がおかしいって、自分が生きている本当の時間と、自分が認識している時間にギャップがあるってことだ。
不都合が特にめちゃくちゃ生じるわけではないけれども、年々、時間が経つスピードが恐ろしい勢いで上がってく気がして少し怖い。
確かに、今まで生きてきたらしいという記憶はある。
だけど、それがどこまで正しいのか、今のところ五里霧中って奴だ。
困ったなあ、困ったなあ、と繰り返しているうちにいつの間にか時間が経ってしまうのならば、
絶対に時間は経ってしまうのならば、
やはり時間はとっておくものじゃなくて使っていく物なのだろうな、なんて少し哲学的な事に思いを馳せる。
どうも、おはようござます、Azukiです。
俺がバイトやってるのは、バイトによって感情的に豊かになるだとか、
何か精神的なものを得るだとか、そんな高尚な理由は断じて無い。
だから、学校の授業とかが間に合わなくなったり、
自暴自棄になったりしたら躊躇せずやめるつもり。
まだそんな風になっていないから、お金欲しさにやってるだけ。
そこに善も義も、悪も偽も無い。
だから、礼を言われる筋合いも無いし、礼を言うことも無い。
お金がもらえないだとか、そんな自分に不都合な事があったらすぐに切る。
そこには情も未練も何も無い。
目的が形骸化して、不必要な手段が残る。
そんな風にもうなりたくは無い。
だからこそ、自分の、弱くてたまらない部分を隠しながら、
それを上回る力を得ようとするのだ。
そんな風に気づいた。
この心地よい背徳感よ...
な~んて言いたくもなる涼しい秋です。
来週からがんじがらめになるかもです。
まあ、今週も結構面倒だ。
本来的にはレポートだとか、勉強だとか、そういうくだらぬものをせっせとやらなければいけないんだろうけれども、
そういうことをする気が徐々に削がれていくのも事実。
とにかく、面倒でどうしようもない自分の気持ちの整理をするために、部屋を片付けてはみたものの、
昔から価値観が変化し続けているせいか、いらないものがどんどん出てくる。
あんなに大切にしていたものも、今となってはゴミ同然だ。
それと同じように、心の中の大事だった物までどんどんと抜け落ちて打ち捨てられていく。
汚い物と、綺麗だった物、今も輝いている物がごっちゃになって、まるで闇鍋のような感覚で、捨てられていく。
それを見ながらちょっとした背徳感に浸るのが最近の楽しさ。
昔の僕は、きっともっと綺麗だったに違いない。
そんな風に思えるだけましか。
どんどん堕ちてく。
ただ、堕ちても堕ちきれない自分がいる。
でも、堕ちたくないと思う自分もいる。
どっちの自分も自分。
自分が自分を取捨選択する。
おかしな表現だが、それをせずにはいられない。
ただ、それだけのために在る、そんな日常です。
男は体、女は財布を見る。
体と金の対価交換のことを”愛”なんて呼ぶというのなら、そんなのは必要ない、と理性は物申している。
が、莫迦な僕は理性だけで生きている人間では無い。
というか、理性だけで生きられるのならば、どれだけ簡単なことか。
だって、自分の利益だけを追求して生きるのだから、それは非常に簡単なことだ。
だが、それを許さない本能がいる。
どうして僕はこんなにひねくれて考えるんだろ。
複雑な経緯はあるかもしれないが、考えたくない。
きっと、一段落してバーンアウトに陥ってるに違いない。
バーンアウトの感覚は好きだけど、このやる気の無さはどうにかしてほしい。
気がつくと何もしていない。
そんな自分を僕は見下しながら、背徳の気持ちの良い冷たさに身を投げ出してしまう。
ああ、心地いいな